予想通りに忙しい。
国政調査を提出した。世帯主の仕事をしっかりと果たしたぞ。
ディスプレイが修理から帰ってくるというので、代替品を寮の管理人さんに預けておく。
ディスプレイがなければすることも特にないので、寝不足を解消するために早目に寝ることとする。
働き始めて半年、寮の手抜き朝ご飯も、乗り継ぎが悪い西武新宿線も、駅から会社への道も、全部なれてしまったことに気づいた。ついこの間まで嫌でしかたなかったのに、今となってはもはや何も感じない。
嫌だった理由を思い出す。確か、日常を認めてしまうと、何か大事なものをなくしてしまうような恐怖感を持っていたんだと思う。だけれど、その大事なものが何だったのかが思い出せない。思い出せないということは、既になくしてしまったということなんだろうか。
ふと、千と千尋の神隠しを思い出した。主人公は大人の社会で働く契約として名前を奪われ、自分の名前を知らないことで社会へと適合していくのだ。まさに今の状況と同じに思える。名前ほどではないにしても、忘れたくない何かを捨てて平安な日常を手に入れてしまったんだ。
平安でいいんだろうか。否、もがかねばならぬ。社会に揉まれて毎日を捨てていては人間ではない。雑踏にまみれて物言わぬ貝になっていては人間であることを捨てていることになる。自分の心体に耳を傾けるしかない。さすれば体の奥底から湧き上がってくる欲求に気づけるはずだ。その欲求を果たせる慶びこそが人間にとって本来必要なものに違いない。幸せの本質に違いない。
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