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新世紀の芸術

芸術には様々な表現方法がある。ストリートでギター一本で歌っている人も、スケボーをやってる人も、自らを表現しようとする姿勢がある以上は立派な芸術家と言える。ここでは、音楽や演劇などの無形芸術ではなく、有形芸術について述べていきたいと思う。

1.現状 〜有形芸術に今必要なもの〜

例えば、絵画を例にとってみよう。油絵であれ、水彩画であれ、抽象画であれ、具象画であれ、保守的であれ、革新的であれ、すべての絵は「四角」である。古代の「宗教画」から始まり、今の今まで「四角」である。昔の絵が四角なのは分かる。当時は紙が貴重であったから、できる限り紙を無駄にしたくなくて、一番紙を無駄にしない四角い紙に書いたのであろう。しかし、今はどうであろうか。紙はふんだんにある。にもかかわらず、美術館にある絵画は全て、前衛的と言われるものを含めて、「四角」の額縁に入った「四角」の絵画である。何故今まで、「四角」のままであったのか。先入観である。絵画は四角でなければならないという暗黙のルールに盲目的に従って、画家達は絵を描いてきたのだ。

確かに、制約があるからこそ良いものが生まれることも事実である。その良い例が、俳句である。俳句には、5、7、5の17字である上に季語まで入っていなければならない。それゆえ、その制約の中で作られたという事実が、名句を、より一層名句たらしめているのだ。しかし、その俳諧も、「定型俳句」と対立する「無定型俳句」なるものの存在により、活性化したのも事実である。型を破るものと型に従うものが、対立することにより、互いに刺激しあう。それによって、その世界全体が生き生きとしたものになるのではないか。絵画の場合もそうではなかろうか。「四角」い絵画が悪いと言っているのではない。「四角」くない自由な絵画が登場すると、きっと美術界は、活性化し更なる発展を遂げるであろう。

これは、絵画に限らない。丸や三角や円錐型の半紙に力強く書かれた書道の作品が、書道展に入選すれば書道界も生き生きしてくるであろうし、様々な分野で、今その分野の持つ制約をすべて根底から覆すような自由な、アイディアが求められているのは事実であろう。


2.具体的表現方法

絵画がいくら頑張っても越える事のできない壁がある。絵画は二次元でなければならないという壁である。どんなに絵画がその制約を取っ払おうと努力しても、絵画は所詮二次元なのである。その点で、絵画は全ての制約を取り除くことができず、その制約の中で前進していくしかないのである。

議論を進めていこう。現代においては、制約から自由になった芸術が求められているのであった。絵画は二次元であるゆえ、その役割を果たすことは無理そうである。では、立体芸術はどうであろうか。四次元芸術は当分の間無理そうなので、当面は三次元の立体芸術をせざるをえない。三次元なら限りなく自由であり、絵画よりも制約から解き放たれている。それゆえ、三六〇度前後左右から作品を鑑賞することが出来るのだ。

しかし、よく考えてみると現在の立体芸術は下からは鑑賞できない。ここに、現在の立体芸術に課せられた一番の制約があるのではないか。下から鑑賞できないことの原因は、重力にある。重力があるからこそ、立体芸術作品の「下面」が隠され、「下面」が表現することは許されていない。人類は今まで、逃れることのできない重力の中で生活してきたから、そのことは仕方がないことである。しかし、今こそ重力の下で表現しなければならないという暗黙のルールから開放されるときではないか。

今、人類には無重力状態を作り上げる技術がある。今こそ、人類がその誕生以来、逃れることの出来なかった制約から自由になった芸術、「無重力芸術」を創作することが可能なのである。そこに込めることのできるメッセージには無限の可能性がある。唯でさえ、無重力は自由の象徴である。そこに、さらに飛躍的な量の情報が込められる。立体が空間を通して語り掛ける情報量が、絵画が平面を通して語り掛けるそれに比べて、格段に多いのと同様に、無重力が無重力状態を投して語り掛ける情報量は、立体のそれよりも格段に多いのは明らかだ。

さらに、そこには未来の芸術の形が見える。人類の地球外脱出が本格化するにつれ、移転先の惑星が遠くなり、スペースシャトルでの移動時間が長くなる。そうなると、人は宇宙で鑑賞する芸術を欲するであろう。しかし、たとえ宇宙にロダンの「考える人」を持っていったとしても、無重力状態になると、それは浮き、「重力」という抑圧の象徴である「下面」を我々の前に露呈するであろう。重力から自由になった途端に、その産物である「下面」を目の当たりにするのである。その空しさは想像の域を越える。新たな世界に旅立とうとする矢先に、今までの世界を思い出すのである。そこで必要になるのが、全面を鑑賞されることを意識されて創造された芸術、つまり「無重力芸術」である。無重力芸術は、我々に、人類史上しかれ続けた重力という抑圧から抜け出した事を、我々に実感させてくれるのだ。

スペースシャトルの様な夢物語はとりあえずは置いといて、現在における無重力芸術の展示方法を考えてみよう。理想的なのは、美術館の一室に無重力の部屋を作る事である。そこでは、すべての作品が「浮誘」する中で、我々は、「浮遊」しながら、作品を様々な角度から眺めることが出来るのだ。遊覧者の望む任意の方向から鑑賞することのできるインタラクティブな部屋である。しかし、金銭面から見ても、いきなりそんなものを美術館の中に作れるはずがない。そこで、当面の間は、無重力ボックスなるものを作り、その中に無重力芸術を入れる方法で我慢するのが良いと思われる。そうした無重力ボックスに入った無重力芸術が一般的になってくると、外を壁に囲まれている無重力ボックスは、自由などとは程遠いので、無重力芸術を展示する「無重力美術館」の登場が期待されるのも時間の問題であろう。


3.結論

既成の芸術の枠を破壊し、新旧相互に多大な影響を与える芸術の一例として、無重力芸術を述べてきたが、もちろん他にも沢山あるであろう。ただ、小生の貧弱な脳には、この程度のものしか思い浮かばなかっただけである。貴方の頭は、もしかしたら、芸術を根底から覆すような新しい芸術の形式や作品を創り出せるかもしれない。貴方が、それを具現化して、美術界の功労者となる事を切に願う。

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